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2016年9月 5日 (月)

行き交う言葉

少し前になりますが翻訳講座に参加してきました。しかもタイトルは「詩の翻訳」。なかなか面白そうだと思いませんか?

 

事のきっかけは友人からの誘いでした。海外在住の友人が一時帰国していて、「面白そうな講座があるから行ってみない?」と声をかけてくれたのです。場所は東京大学。講師は中国古典文学専門の齋藤希史氏で、司会は柴田元幸氏。中国語の翻訳!?と一瞬戸惑いましたが、日本語でなされる講座ですもの、私でも理解できるだろうとニコニコ出かけて行きました。

 

中国古典文学の先生による講座ですが、副題は「欧・漢・和」。「詩の翻訳史」を見つめることで日本文学を紐解いていこう……という内容です。講師の齋藤氏は「翻訳とは交通である」と考え、違う言語(欧・漢・和)が行き交うことでそこに「場」が生まれ、新しい文体や形式、思考の枠組みが発生すると説きます。

 

講義は「漢詩」からスタートです。近代以前の日本では詩といえば「漢詩」を指し、初めて翻訳されたのは、蘭詩から漢詩への翻訳だったといいます。当時漢詩はあいさつのようなもので、送別や誕生日など、人生の節目に互いに送り合うものでした。初めて翻訳された詩も、やはり還暦を祝うために依頼されたものだったそうです。

 

明治に入り、西洋詩の影響を受けた「新体詩」が誕生します。これによって和歌や短歌、漢詩など従来の詩とは違う、新しいかたちの詩が生まれるわけですが、幕末までは「蘭学者」のあいだで行われているに過ぎなかった翻訳が、一般にも普及し、「場」が大きくなりました。また西洋詩の翻訳が広がる中、従来の日本語では表しきれない言葉があるとして、その隙間を埋めるために『哲学字彙』という学術用語辞典も誕生します。これも広くなった「場」から生まれた新しい思考ですね。

 

その後日本の文学界で物議を醸したのが「訓読文」(返り点や送り仮名をつけて、日本語の語順で読めるようにしたもの)です。今でこそ漢詩に訓読文が併記されるのは普通のことですが、これを掲載した初めての書籍は『訳注 陶淵明集』。幸田露伴校閲、漆山四郎訳注で岩波書店から出版されました。当時これはかなりセンセーショナルな試みだったそうで、賛否両論、進化・変化への抵抗も大きかったといいます。しかしその後「訓読文」は地位を確立し、詩はさらに一般へ広く深く浸透します。

 

齋藤氏によると、(詩の)翻訳は「詩とは何か」を問う行為だったそうです。詩の翻訳ですから、直訳という訳にはいきません。主意を読み取り、それを異なる言葉で表現しなおす。もちろん音律の美しさも表現しなくてはなりません。一番最初の(詩の)翻訳は江戸時代ですから、いくら蘭学者とはいえ、鎖国時代の翻訳はどんなにか大変な「交通」だったのではないでしょうか。

 

多数の言語が日々膨大に翻訳される現代は、大きな多角形の時代ともいえます。そこから新しい形式や思考が生まれるのは歴史を見れば当然のこと。「翻訳」はまだまだ進化の途中なんだな、と背筋が伸びる思いで会場を後にしました。

 

次の講座は11月に行われるそうです。講師とテーマは毎回変わり、受講料は無料です。次回の情報はまだアップされていませんが、興味のある方はこちら↓のアドレスをぜひ調べてみてくださいね。

 

http://www.l.u-tokyo.ac.jp/program/tokushu2.html

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