« ファーストレディになったサウスサイド・ガール | トップページ |     この一冊でキミもスパイ! »

2009年5月27日 (水)

声に出して読みたい翻訳書?

         20080911000071701_3

『最新脳科学で読み解く 脳のしくみ』
車のキーはなくすのに、なぜ車の運転は忘れないのか?

アーモット,S.著/ワン,S.著/三橋 智子訳                

いっそ方言にしちゃうとかね――

何気なく編集者のMさんが放った言葉に、
「それはたしかに新鮮だ!」
と思った。

――小社営業の握力王と、「O」嬢の顔はひきつり気味であった。

あれは、昨年の7月のことである。

地下鉄の階段を登って地上に出ると、あまりの眩しさに目を細めたのを今でも覚えている。
強烈な夏の太陽が燦々と照り輝き、ビルや道路、行き交う車に反射した光が、キラキラと美しく光っていた。

我々(握力王、「O」嬢、そしてわたし)の3人は、さる翻訳書の打ち合わせのため、東洋経済新報社にやってきた。

普段PCのモニター画面とにらめっこのわたしにとって、このときが入社してから初めての打ち合わせだったので、わたしはちょっとドキドキしていた。

小社が翻訳の依頼を受けたのは、『Welcome to your brain』という本で、現在は『最新脳科学で読み解く 脳のしくみ』というタイトルで絶賛発売中である。
(おかげさまで3刷りとのことである)

担当編集者のMさんは、どこか飄々とした雰囲気の方だった。
年若き頃、広島に住んでいたことがあったとのことで、広島出身の小社営業の二人と広島談議に花を咲かせていた。

彩の国埼玉出身のわたしは当然話についていけず、淹れていただいたコーヒーをズズリと啜ると、窓の外の景色をぼんやりと眺めながら、

「今日も世界はせわしなく動いているなあ」

などと思うともなく思っていた。

しかし、広島談議が一段落した後、実はMさんが現在はわたしの実家のある、埼玉の某市にお住まいということがわかると、急に親近感を抱いてしまうのが人間の性である。
わたしは某市のゆくすえを憂いているので、市政のことなどについて、少々意見を交わした。

そんなこんなで打ち合わせは本題に入り、Mさんは、『Welcome to your brain』を、その時売れていた、『生物と無生物のあいだ』のように、理系分野に興味のない読者をも惹きつけるような文体を持ち、多忙なサラリーマンでも通勤中に読めるような本にしたいとおっしゃった。そして、こうつけくわえられた。

――あわよくば本から得た知識を合コンで披露できるような本に、と。

(なぜに合コン?)

と、我々3人は同時に思ったことだろう。

そして、そのときに出てきたのが冒頭の、いっそ方言にしちゃうとかね――

であった。

結局その日の打ち合わせは、「訳文は、読みやすいようリライトする方向で」という結論に至り、終了した。

数日後、オーディションで絞られた数名の訳者さんの訳文をMさんにご提出すると、Mさんからすぐさま4パターンのリライト案が戻ってきたのには正直ぶっっとんだので、以下に紹介したい。

翻訳パターンA ですます調を使わず、体言止も使わない
翻訳パターンB ですます調
翻訳パターンC ちょこっと広島弁
翻訳パターンD かなり広島弁

お見せすることができないのがなんとも残念でならないが、翻訳パターンDは傑作で、広島弁がわかる方には大いに楽しめること必至である。

そしてついに翻訳者さんが決まった。

三橋智子さんである。

チェッカーには、内容が非常に専門的なので、医療の分野にお詳しい籔盛子さんが決まった。

三橋さんには、オーディション時に提出いただいた訳文をさらにリライトしていただき、Mさんにご提出し、その結果、最終的な指示として以下のお言葉を頂戴した。

「サイエンスエッセーという感じで、脳科学を知らない読者に語りかけるような文章。目で読んで理解するよりは、声に出して読んだとき、耳で理解できる文章」

わたしは心のなかで、こうつっこんでいた。

「声に出して読みたい翻訳書か!」

耳で理解できる文章、とはなんとも耳当たりがよいが、言うは易し、行うは難しで、ものごとはそう単純にはいかない。

なにせ、内容が非常に専門的なので、「耳で聞いて理解できる」を重視してしまうと、内容のつじつまが合わなくなってしまうかもしれない。
それに、チェッカーの籔さんの作業上、最初から大きくリライトしてしまうと、原書とのつき合わせに支障をきたしてしまう。

悩んだ挙句、解決策として、最初の訳出はあくまでも原文に忠実にし、一度全体の訳出が終わってからあらためて読みやすくリライトしていただき、さらにわたしが耳で聞いて理解できる文章かどうかチェックする、という流れになった。

そして作業はなんとか軌道に乗り、しばらくは平穏な毎日が続いていた。
しかし、世界はそんな生ぬるい平和な日々を許さなかった。

そうは問屋が卸さない! というわけである。

なんと、スタートから2カ月後にして、突然のペーパーバック版に変更とのお知らせが舞いこんだのである!(実際はままあることです)

担当営業の「O」嬢とわたしは、もうサンバルンバ…じゃなかった、てんやわんや、である。
しかし、不幸中の幸いとでも言えばよいか、本文に大きな変更はなかった。
ほっと胸をなでおろす二人。

その後、最初の訳出が終了し、わたしのチェックの番が回ってき(私の脳の都合上、やはりすべてがすんなり理解できるとはいかなかった)、気がつけば、当初10月だった納期は、年内一杯へと延びていた。
そして年があけてからも作業は続いた。
スケジュールはざっとこんな感じである。

1月初旬 翻訳第一校フィードバック
1月下旬 完成翻訳原稿出来
2月上旬 初校ゲラ出来、訳者校正
2月下旬 再校ゲラ出来、訳者校正
3月中旬 校了
3月下旬 見本出来
4月上旬 配本 

このあいだにも色々なことがあった。ざっと説明すれば、わたしの入院による涙の途中退場から奇跡のカムバック、三橋さんによる原著者への質問状の作成や、再校ゲラ時での籔さんの再登場などなど、それはそれは盛りだくさんなのであった。

というわけだったので、今年の4月3日のMさんからの校了のご連絡には、文字どおり飛び上がって喜ばないわけにはいかなかった。

すると、この喜びがおそらく伝わったのだろう、関東地方の桜もいっせいに花開いた――
――会社近くの錦華公園は、学生やお昼休みのビジネスパーソンにとっての憩いの場所である。

わたしは桜を見上げると、同じくお花見を楽しむヒトたちに気味悪がられないようそっと、こう呟いた。

「三橋さん、籔さん、本当にありがとうございました、そしておつかれさまでした。Mさん、ご要望はほどほどに

(コーディネーター小澤)

続きまして、翻訳者の三橋さん、チェッカーの籔さんからのコメントです!

「モーツアルトを聴かせると酒はおいしくなる?」

“モーツァルトを聴きながら訳したら快調”――さる翻訳家がそのようなことを書かれていたのをかつて読んだ。さっそく実行に移し、“うん、たしかにペースが速い!”と喜んでいた――が、本書によって、その幻想は見事打ち砕かれてしまった。

モーツァルトを聴かせても赤ちゃんは賢くならない。そんなデタラメがなぜ、どのように広まったのか? ちなみにジョージア州知事は州内の全新生児の親にクラシックCDを送る予算を議会に要求したそうだ。


本書はそうした「脳の俗説」を暴いたユニークな一冊。さらに最新の脳科学の研究成果も網羅され、ちまたの“脳の本”一〇冊分くらいの情報量がありそうな中身の濃い入門書である。訳者にとっても「へえー」の連続だった。個人的に好きなのは「つがいのきずな(人間では“愛”)」を取りあげた章。「科学は愛について多くを語れるが、すべてを知ることはできない」という著者の結びのコメントがきまっている!

しかし、なにしろ知識が限りなくゼロに近い状態だったので、原文を前に最初は呆然とした。「線条体」(?)、「下頭前回」(??)、「腹側被蓋野」(???)といった用語に翻弄され、チェッカーの方の膨大なコメントに気が遠くなり、関連書で“超詰め込み学習”をしながら、「はたして自分が訳してよいものか?」と自問自答する日々。(じつといえば、宗教と麻薬に関する章は日本人になじみがないため削除されるだろうと予想して訳し、あとで苦労し反省した)。おつきあいいただいたコーディネーターとチェッカーのお二人に心から感謝したい。

話は戻るが、脳科学はまだまだ未熟な学問らしい。だからモーツァルトを聴かせると酵母や麹から未知の脳内物質(それらに脳があるかは別として)が分泌されて酒がじっさいまろやかになるのかもしれない。そうなると「俗説とされた真実を否定した俗説」を暴く本が将来現れるかも・・・・。
(三橋 智子)

5月23日に木村拓哉主演のドラマ「MR.BRAIN」(TBS系)が始まり、今春放送開始の連続ドラマで最高視聴率をマークしたらしい。昨今の脳ブームを受けてのことかと思われるが、脳に対する関心は高まる一方である。

この本は軽い読み物ではなく、脳の専門家が書いたしっかりした内容の本で、それでいて非常に面白い。「テストの前に肯定的なイメージを抱くと、良い結果が得られる」「クラシック音楽を聞くだけでは、頭は良くならない」など、誰もが知りたい話がてんこ盛りだ。ただ面白いだけでなく、科学的根拠がしっかりと示されているところがこの本のすごいところである。この本をチェックしている頃、横で娘が大学受験の勉強をしており、「イメージトレーニングが大事よ」とアドバイスしたことがなつかしく思い出される。

科学的に書かれているためとかく難しく(読みにくく)なりがちだが、訳者さんがそこをうまくカバーしてくれている。チェックする際にはどうしも逐語訳になり、日本語として読みにくくなる。かといって意訳がすぎると、原文から微妙に離れてしまう。ニュアンスが変わるだけでなく、科学的におかしくなりかねない。そのへんのバランスが難しい。できれば脳分野の専門家の方に監修していただければよかったと思う。
(籔 盛子)

|

« ファーストレディになったサウスサイド・ガール | トップページ |     この一冊でキミもスパイ! »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1146320/29819793

この記事へのトラックバック一覧です: 声に出して読みたい翻訳書?:

« ファーストレディになったサウスサイド・ガール | トップページ |     この一冊でキミもスパイ! »